『アイデアのつくりかた』について
アイデアについてはじめて興味をもったのは、USJの元CMO 森岡毅氏の著書。「新しいアイデアとは、既存の要素の新しい組み合わせでしかない」という引用の記述を読んで衝撃を受けた。あれから時は経ち、私はいろんな文献を読み、思索するうちに、アイデアの根本ともいえるものにたどりついた。
あまりに斬新すぎて、存在意義そのものを木端微塵にせしめる発見であった。
アイデアのつくりかたの具体的なについては、主旨ではないのでいろんな文献を参考にしてほしい。森岡氏が引用したのは、「アイデアのつくり方」(ジェームズ・W/・ヤング)という古典で、他にも参考になる文献はたくさんある。
アイデアを具体化・展開・保存しておく意味でも、紙とペンは重要な役割を担う。私はとっさのアイデアをまとめるスペースとしてRollbahnのメモ帳を必ずカバンのポケットに入れている。ペンはそのときどきで使い分けるが、まだ形になっていないアイデアは、形になるまで何度も何度も書きなおすのでペンシルがいい。
また存分に書き散らすために、ポスタルコのスナップパッドもカバンに常備している。いつでもアイデアを創造できる環境を、カバンで持ち歩いている。
しかし、私の仕事は経理である。規則によって徹底的に処理が決められ、正確さが求められる仕事。その仕事に独創的なものなど百害あって一利なし、といっても過言ではない。
せいぜい求められるのは、仕事を簡略化するためのエクセルの小技程度のもの。アイデア帳を常に持ち歩くのは、マンガ家、小説家、映像クリエイターなど、常にアイデアを絞り出すことを求められる人たちだ。だから常に頭と精神に課題がまとわりつき、何かのアイデアを絞り出そうとする。
しかし、私に対してはそんなハートフルな熱烈要求や超えなければならないハードルがあるわけでもない。
求められてもいないのにひねりだすのは排泄物くらいのものだろう。合意とかそういったプロセスを一気に飛ばしてひねりでてくるため、それが「何についての」アイデアなのかは、一切不明なのである。
普通アイデアは、解決すべき問題があって、それを乗り越えるための手助けとして生まれてくる。けれど、私には、特に緊急に解決すべき問題や課題があるわけでもない。なので、特にアイデアを要しない。にもかかわらずアイデアを生み出す準備に余念がない。
つくり方を学んだ結果、今の自分にはそうそう必要ないということがわかったときには、既に手遅れであった。
すでにありとあらゆる紙やペンを、カバンに突っ込んで持ち歩き、アイデアを施してバッチこい!と仁王立ちしている状態。万全なのに、誰も私にアイデアを求めていない。というよりも、常にアイデアを求められる人というのは、ごくごく限られていないだろうか。おそらく、ほとんどの人が特に外からアイデアを求められているわけではなく、自分のためだけのアイデアをつかまえようとしているのだろう。
その結果、AVソムリエの覚え書きみたいなアイデア帳ができあがっていることも珍しくない。アイデア帳の中に、「語彙力のない海原雄山」とか、「川島なお美と黒木瞳の見分けがつかない」といった、もはやアイデアなのかメモかすらも定かでない筆記さえ散見できる。
アイデアのつくりかたのノウハウを著しているような人は、少なからずクリエイティブな職業の人である。それが万人に必要なスキルのように思えて読んでみるが、そもそもアイデアではなく、もっと他のものを求められている人の方が多かったりする。
私の場合、アイデアよりも先に、かけがえのない何かを頭や心に装備し忘れている気がしてならないのは考え過ぎだろうか。