バレットジャーナルとハコモノ
このごろノートに憧れる。手帳をこよなく愛し、とりわけシステム手帳とは蜜月の関係を築いておきながらノートに憧れる。現実社会ならば民事裁判とかで慰謝料的なものを要求されても致し方ないくらいの貞操観だ。
ときにバレットジャーナルについて。一週間は誰にでも等しく7日間あるのだけど、内容や充実度はアンバランスだったりする。忙殺される日があり、週末に備えて体力温存のため、仕事をしつつネットの荒波をかき分けたり、口から十二指腸的なものがぽろっとはみ出てきそうな気配すら漂いそうにぼーっとしているときもある。
その点、バレットジャーナルは自由気ままに使えてとてもいい。ただ一つだけ障害がある。システム手帳病により、中に突っ込まなければ気が済まないのである。
どこぞの性欲を持て余して、全国放送のニュースに躍り出そうな発言だけど、システム手帳の究極はオールインワンであるゆえに、とにかく一つに収めたい。
そこで私が欲しいのは、システム手帳専用のバレットジャーナルノートだ。いまはNOLTYを突っ込んでスケジュール関連の管理を任せているのだけど、あれが全てドット方眼だったりすると、出しちゃいけないものをぽろっと出しちゃって歓喜する。
しかし、フェイクレザーでもなんでもああいうしっかりしたカバーのついたハンディサイズのノートがないのである。
システム手帳に挟み込めるというのは、マーケティングの観点から見ても、せいぜいリフィルと少しのフィールドで競合するくらいだろう。ジブン手帳でもほぼ日でも、システム手帳バイブル用などのサイズで出せば、バインダーと綴じ手帳は競合しない。
私は適度な量のノートを自由に使いたいので、能率協会あたりがハンディなバレットジャーナルノートを出してくれて、それをシステム手帳に挟み込める日が来るのを待ち望んでいる。
バレットジャーナルはその自由さゆえに、インスタグラムやツイッターで検索すると、多摩美の文化祭みたいな様相を呈している。
率直な感想として、ハコモノ行政という言葉が脳裏をよぎった。ハコモノ行政とは公共事業において施設や設備の設置そのものが目的となっている状態を揶揄したことばだ。
具体的にいうと、予算を使い切らないとカットされるからとりあえず湯水のごとくじゃぶじゃぶ使うのも手間がかかるんでとりあえずビル建てた、みたいなものである。
そのハコモノの中になにがあるのかというと、崇高な理念とかその地域の未来への希望、壮大な展望とかである。
国民から義務と称して徴収する税金で、民間にはできない規模のものをぶいぶい言わせながら立てていく。まさしくハコモノ行政なのである。
綺麗に彩られてはばかることなくネットに公開されている写真を見ていると、その言葉が想起されるのである。
けれど悲観的ではない。綺麗な、アーティスティックな容れ物、キャパがあるのだから、入れるものを充実させていけばいい。もはや綺麗で手が込んでいてもモザイク処理を要するような内容に昇華していく余地は多いにあるだろう。
とはいえ私のように無骨で性欲の権化、または内面観音開きのような使い方ばかりしていても殺風景だ。気分転換になるような華やかさは必要かもしれない。
インスタ映えページですら男らしすぎる。むしろ漢と表記した方がしっくりき、その手帳はほらがいの音とかを奏でそうな勢いである。バランスというのは何事にもおいても難しいものだ。
それにしても。ほんとにシステム手帳用のバレットジャーナルノートがほしくてたまらない。