いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

空っぽの手帳

近所にあるTSUTAYAは、映画や本が選り取り見取りなのだけど、一角に地雷が潜んでいる。アダルトコーナーじゃない。なんと文具売り場なのだ。

文具は二つのエリアに分かれてある。一つはパンピーの文具コーナー。ドクターグリップやクルトガ、キャンパスノートなど、いわゆるどこにでもある層の文具が充実してあるコーナー。コピー用紙や栞など細かいところまで充実している。

 

問題はもう一角の預金残高的ゾンビを狙っているかのようなコーナーだ。ここにはLAMYやらオロビアンコ、PILOTのハイエンドペンなどがある。さらにはなにを血迷ったのかファイロファックスのマルデンやホルボーン、レイメイ藤井ダヴィンチなどまでとりそろえ、そのコーナーからは異様な魅力がプンプン放たれている。見本で置いてたあったマルデンなんて味が出過ぎて、そのままサンプルを持って帰りたいくらいだ。

 

これが百貨店の丸善だとか、文具専門店とかならまだ心構えしていくだろう。財布の紐の防御力だってそこそこある。けれど夕飯を終え、お風呂に入り、行くあてもなくトレーニングウェアでぶらぶら本を見に入っていた先でこんなのと遭遇したならば、それはもう不意打ちだ。かつて「大英博物館に『ばか』というプレートがあったならあなたを貼り付けてやりたい」という最大級の賛辞を恋人から送られたが、不意打ちというプレートがあったなら、今日の僕のような状況を展示したい。

 

ホルボーン使ってる、システムダイアリーも持ち歩いてる、トラベラーズノートもある。けどそこにはグリップブックがあった。すっと手にとって購入したよね。ファイロファクサーだから。トレーニングウェアと季節はずれのハーフパンツで現金繰り出したよね。

 

クリップブックは、ファイロファックスが気軽にシステム手帳を使ってもらおうとプロダクトしている比較的安価なバインダーで、システム手帳とノートを融合したことによりバレットジャーナルやほぼ日系の方々から熱い視線を注がれている。

『シス手研スタイル』でみらぶーさんが、クリップブック好きすぎて4冊所有ってのが印象に残ってたんでしょうね。「負けてらんねぇ!」と購入したはいいけれど、なにに使おうかと途方に暮れている。

 

 

手帳や文房具が好きな僕らは、アウトプットするには恵まれ過ぎたような環境にいる。各自、使いやすいペンを何本ももっていて、メモやノートや手帳など、紙もそれを管理するツールを持っている。だから全くアウトプットに困らない。そしてそのような状況になって初めて気付くのだ。アウトプットすることが何もない、思索しようとしてもうんともすんとも言わない自分に。

 

例えばクリップブックは4200円と税だった。それが安いか高いか。ある人にとってはとても高く感じるかもしれない。けれど僕らは、それが生み出すまだ見ぬ何か、に価値を見出す。それはすごいアイデアかもしれない。仕事で評価されるかあるいはSNSでバズるか。いずれにせよ、何かが生まれてそれによってこれくらいの価格は投資としても微々たるもの。そのように考える。得てして、実際に目の前にすると何かを生み出すどころか退廃的な妄想を繰り広げる始末。

 

思考が自由でアウトプットにも恵まれた環境。それが写すのは空っぽの自分なのだ。僕には何にもない。日々を生きているようで、そこから得たもの、蓄積したものなどなにもない。その日暮らしの生き物なのだ。いま、ここで書いているこの言葉でさえ、誰かからの借り物に過ぎないのかもしれない。

 

ここのところ、エネルギーが有り余ってやや方向が違うところへ行っていた。それはあまりに空っぽな自分を見つけてしまったからだ。

結局、手帳術とかいろんなもろもろは、どこまでいっても「恵まれたアウトプットの環境」の一部でしかない。もうこれ以上、僕は恵まれなくていい。いまの環境ですら十分過ぎる。ただ、日々をいきて、何かを感じ、それを自分の頭で考えられる。そんな生き方をしていきたい。

 

恵まれた環境は、求めればより、恵まれることだろう。もうそんなものに興味はない。これ以上、環境は恵まれなくていい。ただ、その環境を活用できる生きたかをしていきたい。そう思った。