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恋文論考

 

 年末が近づくにつれ素寒貧曲線が前代未聞の急上昇をみせつけるようになってきました。私は年末ドリームジャンボ宝くじを「退職への栄光の架け橋」と呼んでいるのですが、いまだアウシュビッツからTwitterを細々と飛ばしている現状からも分かるよう、その橋を渡れたことはありません。

 

 もし目の前に現れたなら一休さんばりのドヤ顔で真ん中を堂々と渡るところです。しかし、現実には、買えば買うほど自治体にテラ銭を寄付しまくり。意に反してどんどん足ながおじさんみたいになっていくのです。全く足は伸びないのに。

  誰かが「宝くじっていうのは夢を買うんだ」と言いました。けれど、ことあるごとに切実につぎ込んでくじを買っている層の人たちから見れば、へそで茶が湧きます。そんな生ぬるいものではないのです。

 ある日とつぜん、余生を遊んで暮らせるだけのお金が転がり込んでくる。羨まし過ぎて鼻血が出ます。

 

 イソップ童話の『アリとキリギリス』は名作ですが、いまの社会から見れば色あせています。いまはバイオリンを弾いて、唄をうたっている優雅なキリギリスがアリ共を雇用して働かせているのです。資本が全て。なんという不平等でしょう。

 

 しかし不平等だと泣き叫んでいても現実は何も変わりません。プロレタリアートとして赤旗を振り回しながら、鬼神のごときパフォーマンスが必要です。生卵ピッチングを国会議事堂で披露したり、出馬したり、国会議事の場で理論武装を越えて肉体的に無双するなど。あと公安に監視対象として熱視線をほぼ一生注がれることになりましょう。そんなの嫌だ。

 

 であるならば、資本家になるしかないのです。では、どうやれば資本家になれるのでしょうか。銀行で土下座して融資してもらったり、無人くんで借りて来たりしてもよいでしょう。もしくは唯一無二の強みとなるスキルを自分で会得するか。森見登美彦氏を敬愛する私としては、ベンチャービジネスを立ち上げるほかない。もちろん業務は「ラブレター代筆」です。

 

 電子メールですら時代遅れになりつつあり、いまはLINEとかいうアプリが幅を利かせています。そのような時代だからこそ、あえて肉筆です。

 まずはカウンセリングで恋文を出したい相手と、その傾向を確認します。これはもう恋文の根源にあたる部分ですので入念に相手の趣味・趣向を把握します。この時点でストーカーに他なりません。

 ターゲットが定まったら、あとは恋文作成になります。筆力を駆使して、相手が引かずに好意を覚えるようなバランスに注意しながら書き上げます。あくまで目標は好意であって行為ではありません。

 

 筆力というものを資本にして稼ぐというもくろみなのは明らかですが、そもそもこの己の筆力に対して懐疑的なのが致命的な問題です。

 だいたい私の筆力はどの程度で、それはクライアントのニーズに応えられる、つまり異性を籠絡できるのかどうかという点なのです。そんなものが書けるならば今頃私のブログなりTwittrなどはうら若き乙女の巣窟と化しているはずなのですが、そのような気配はあまりありません。

 Twitterに至っては屈強な男と悩める男、そに華を添えるのはわずかのアカウント・オブ・エロ業者くらいのもの。何の説得力もありゃあせん。

 

 どうすれば異性から絶賛される恋文を書けるのでしょうか。まずは、「おっぱい」などといった卑猥な語を封印する必要があるのは陽の目をみるより明らかです。

 それから私の感性豊かな比喩表現も十分に注意する必要があります。愛のプリンに突きたてられた箸とか、機関車トーマスも戦慄するピストン運動とかそういった表現もばっさり切り捨てます。

 

 ところがこんなのはもう焼け石に水ではないでしょうか。文章というのは書き手の個性がにじみ出たもので、それをいくら手先でごまかしたとしても立ち込める体臭的なものにフタをしても隠しきれるものではないのです。

 

 世界のどこにでもある風景ひとつだけを文章で切り取るだけでも難しいのに、自分の心の中を女性籠絡仕様に改編してテキストを打ち出すなど、もはや神の領域なのかもしれません。

 

 文具コンサルタントとか文具ソムリエールとか生理用品みたいな名前も言ったもん勝ちですので、恋文コンサルタントとか名乗ってもいいと思います。ただ、恋文というのものは基本、エゴの文章です。

 

「自分の心苦しさから解放されたい。あわよくばねんごろの仲になぁーれ!」という想いとともに解き放つ、迷惑極まりない思想的汚物。相手からすれば琴線に触れるものが無い限り、迷惑千万、百害あって一利なし。

 だからこそ、そもそも立つ鳥であることを自覚してなるだけ汚さず、いざとなった場合に限り波風立てまくるという意識が必要です。つまるところ、琴線にさえ引っかかればいいのではないでしょうか。あえてTwitterなどに晒されることを想定された恋文。むしろ晒さずにはおけない恋文。いろんな形が考えられます。

 

 もう少し視野を広げれば、「恋文で恋愛関係を確立する」という固定概念を覆すこともできます。例えば、自分の恋路に乱入してくる人をブロックする目的のものも広義の意味で恋文でしょう。この人とは距離を置きたい、というときに送る文章は逆ベクトルの恋文ととらえることができます。

 ありとあらゆる形の恋文を使いこなせなければ、恋文コンサルタントの名が折れてしまいますので常に修行と勉強の心意気が必要です。ではケーススタディしてみましょう。

 

 Q.あなたはカルチャースクールの教室で気になる人を見つけました。せいぜい名前くらいしかわかりません。どのような恋文をだしますか?なお休憩時間中にはお友達の女性が取り囲んで、常に包囲ブロックがなされている環境と仮定します。

 

 この場合は、相手との交際を確立するというような一足飛びな目標を設定してしまわないよう注意が必要です。初対面の人にそんなものを渡されたことを考えてみてください。

 一目惚れというのは言葉の響きがよいだけで、すなわち「あなたの身体に興味があります」というセクシャル満載なメッセージに過ぎません。そんなものを渡されて嬉しい人はいるでしょうか。残念ながら私は股の間にぶらさがっている性別ですのではっきりとはわかりませんが、経験則(主に傍観者として)から言えば、野良犬の方がまだかわいがられるという容赦ない扱いを受けます。

 一目ぼれ=顔選び=性欲判定 ということは、常にリスクとして頭の片隅に置いておくべきでしょう。

 

 ではどのような恋文を送ればよいのでしょうか。答えは簡単です。比較的ライトで、周りの人に見られても全く問題ないものを渡せばそれでOKです。ただ、そうはいっても男が筆まめ野郎と化して手紙を書いて渡せば、それだけで好意が好けてみられるでしょう。

 相手が自分に興味を持ちそうで、かつ周りが見ても不快にも思わなく、自身の好意を包み隠す。そんな恋文くらいは書けなければ、とてもじゃないですが文章資本家とはなれません。

 

 私も悩みに悩みましたが、最終的には般若心経の一説に連絡先を付して渡すという結論に至り、早くも資本家への夢が折れてしまいました。

 この世は非常です。凡人たる我々は、「隠れた才能」などに過度の期待を寄せてはいけません。むしろ才能は、隠れていることなんてほとんどなくってみんなむき出しの状態です。むき出しなんだけど、何の役に立つのか分からない才能が多すぎる。あんまりだ。

 

 不平等な世界だからこそ、本を読み、文を書き。今日も私は妄想の世界を生きて行く。