日経ビジネス Associeは限界かもしれない
Twitterのタイムラインが賑やかになった。そう、日経ビジネスAssocieの手帳特集発売日だったからだ。
意識高い人から高い系、他界系まで幅広く読まれている雑誌だが、毎年手帳とノートの特集号だけを買う。なので毎年恒例で今年も買ってきた。
一通り読み終えたところでふと「シス手研」のタグを運用し始めたころのことを思いだした。特に参加票などの条件を付けず、なかなか陽の目を見ないシステム手帳ユーザー同士で情報を共有できる形にして、いろんな手帳が集まった。バインダーは違っても形態は共通であり、中身は自由に変えられる。どんなバインダーのユーザーであっても参考にできるというシステム手帳の強みも手伝い、幅広い情報が集まるようになった。タグを検索すればいろんな事例を見つけることができるだろう。
そんなシステム手帳の情報をながめていた。今回記事を読むとシステム手帳ユーザーも掲載されていた。
しかし、シス手研タグに比べるとどうしても情報が浅すぎる。目新しいこともなく、ひたすら基本をなぞるような使い方が掲載される。これではシステム手帳の魅力の一端も伝えることができないのではないか。
システム手帳は愛好家が集まれば活発な情報交換ができ、その運用のどれもが取り込んでアップデートすることが可能で、またいつからでも始められる。そんな特性を生かしてきたタグの運用から、大きく発展した。
またシステム手帳に相性のいい文具もあわせて紹介され、充実したラインナップができあがっている。これはひとえに誰かひとりのユーザーというわけでなく、愛用家が集まって情報を結集した結果だろう。
一人一人に焦点をあてる特集では、著名人の手帳はまた話題性から別としても、手帳の紹介としては限界に来ているように思う。ビジネマンにとっては参考になっても、手帳愛好家からみればどこか物足りなさを感じずにはいられない。付録がよかった。その一言で終わってしまうのだ。
システム手帳Styleの発売も予定されているようだが、その内容に期待したい。いまやシス手研タグは広がりをみせ、これからも進化し続けるアーカイブになるかと思う。
日経ビジネスAsocieの手帳特集は、限界に来ているのかもしれない。
ビジネスアタック
日々、メモやノートや手帳をペンでこねくりまわし、得体の知れないアイデアを練ってきた。アイデアを求められるようなクリエイティブな仕事ではない。むしろ対極に位置する。そんな私が何のアイデアを練ってきたのか。それは他ならない。私が豊かで贅沢な暮らしをするためにお金を稼ぐアイデアである。
お金を稼ぐというと聞こえはいいが、つまるところ他の人の所得をつまみ出すためのアイデアということだ。それがwin_winの関係で気持ちよくお金を出すのか、知らないうちに搾り取られているのか。後者は主に、異性器のように年取ったら拝み倒したくなるような、複雑怪奇な契約体系で搾り取る携帯キャリアのような事業だ。どんな手段であれ、人の財布から自分の懐にお金を移すことを「稼ぐ」という。
お金を稼ぐ上で大事なのはターゲットだ。例えばワンピースとかに出てきそうなくらい荒稼ぎしている「あな◯手帳」とか、羨ましすぎて鼻血が出そうになる。
そのほかにも、マルチを構築して不労所得を得たりだとか、他の人からお金を掠めとる手法はいくらでもある。
つまりターゲットは、容易に財布を開く層だろう。なに、異性は全く足を開いてくれないが、財布は異性同性分け隔てなく開くだろう。方法によっては。
数日前、病んでるのか何なのか自分でも分からないが、数時間に及ぶ「金正男の暗殺」について情報を追った番組を観ていた。視聴し終わった暁には、北朝鮮の裏側を垣間見た気になって、かの国ならば見せしめに処刑されても違和感がないほど詳しくなってしまった。にわか北朝鮮通の誕生である。
知的好奇心を煽られてひたすらに独裁国の情勢とスキャンダルを観てしまったのだが、要するに私が北朝鮮について情弱だからハマってしまったのである。人はハマるとお金や時間を差し出しやすくなる生き物だ。ソーシャルゲームしかり。
現実世界では青びょうたんの顔とモヤシな体のようなキメラであっても、ゲームの世界では筋骨隆々のハンターとして、人知を超えた非常識なモンスターにやれ刀だ弓だで向かっていく人々がいるように。
つまり情弱を狙えばお金を稼げるのではないか?しかしながら「情弱」ということばが辞書に載って解説されそうな昨今、そんな存在はなかなかいないのかもしれない。よく分からないことがあればスマホで検索し、得体の知れないものがあればカメラで写して拡散し、とかく情報が氾濫する時代。それらに触れずして自分で物事を決める人というのは、相当に頭が切れるものか阿呆かのどちらかである。
ならばと考える。情弱を探すより、情報が少ないジャンルで考えてフィールドを絞ってはどうか。コペルニクス的転回の思考で私は考えた。さすがである。
彼氏を逃したくないときには避妊具を付けずにことに及び、事後速やかに壁倒立を限界までしていれば重力に抗えず妊娠しやすい。という理論を吹聴して、顰蹙とともに「性教育小学生からやり直せ」という論評を賜っただけのことはある。
ではどのような分野に絞れば良いか。1つのキーワードは芸術であろう。ときに幼稚園児が描いたような絵画が、肉眼が飛び出かねない高額で落札されたりする。これは芸術の価値に明確な、あるいは客観的な基準がないからだ。
例えば私が奇声を発しながら絵の具を筆で叩きつける。それは芸術でも何でもないかも知れないけど、どこかネジの飛んだ人が高額で落札する。その話題を書いた人は、何でもない絵の具の飛び散った紙が、芸術的な何かに見えてくるかも知れない。
私が熟考した結果が出た。盆栽である。とにかく盆栽を育て、知ったかぶりしながら自画自賛しつつ、ものすごい価格で出品する。
芸術的で小さな木。しかし、その基準を知る人はあまりいないだろう。私もその一人である。とにかく枯れてなけりゃいいんだろ?みたいな勢いで育て、作り込み、自ら芸術的価値があると宣伝して高値でうる。そしたらもう、あとは勢いで売りさばいて、その収入をもと与沢翼的な飛躍を遂げて、秒速で数万円稼ぐような小金持ちになるのである!!
という妄想をしながら、明日の出勤に打ち震えています。そろそろ平成の一揆を起こそうか。政治はどうでもいいけど、年金で僕から搾り取らないで!もともとスズメの涙の収入なのよ!
まだまだ楽な暮らしになる日は遠いようです。