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いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

宗教

日記

 

 何かにすがりたいとき、それは人智を超えたものであってほしい。

 たぶん、僕が思うに天国も地獄もない。だけどそれでは、あまりに悲しすぎる。どこかでつながっていたい。だから「死後の世界」が創られたんだと思う。

  有機生物としてこの世に生を受け、種を残すために活動し、やがて役目を終えて朽ちていく。

 でもその中では、それ以上のつながりに支えられて生きていることを誰も否定しないと思う。それは親から受ける無償の愛であったり、親がこの世を去った後に手を取り合う兄弟であったり、そして自分の血を分けた子供であったり、その人生を共にしたパートナーであったり。

 

 そんなつながりが「死」という活動停止によって無に帰せしめられる。それはあまりに悲しいことだと思う。いま一緒に生きている両親も兄弟も、やっぱり前世なりどこかで縁のあった人たちなのだと思いたい。でも、それを証明するには人智を遥かに超えたところにある智慧がなければならない。

 

 だから人は神を生み出し、人智を超え、その存在にすがる。それは理性というものを持った人間にとって、心のよりどころを求めるごく当たり前の行為だと思う。言い換えるならば、とても人間的だ。

 それだけに、それをビジネスにすることに対して嫌悪感しか抱けない。なぜ人がすがる人智を超えた者が同じ人間の中にいるというのか、なぜそのような尊いものが例外なく金銭的見返りを求めるというのか。

 

 あまり柄ではないのだけど、死生観についてふと考えさせられた。本当に神という者が存在するならば、それは相当に理不尽な存在だとも思う。

 でなければ突如地震によって老若男女、善悪問わずに命を失ったり、若すぎる命を奪ったりするものか。それを見過ごすものなのか。

 でもすべての願いや希望を叶えるということは論理的に無理なこと。この世の幸福は誰かの不幸の上に成り立っている。あっちを立てればこっちが立たない。本当に神がいるのなら、誰の願いにも耳を傾けはしない。それが一番の公平に他ならないからだ。神は平等でなくてもいいが公平でなければならないだろう。

 誰かの願いを叶えるために、誰かを不幸にする。誰の願いを叶えるかは神次第。そんな存在を果たして神と呼べるのか。それはもうもはや…。

 もし、僕の願いに耳を傾ける者がいたなら、声を返すものいたなら。それは神ではなく悪魔に違いない。

 

 だからそんなことをこの世界で甘く囁いてくるものがいたら問答無用で殴り返しても構わないと思う。悪魔でなくてもロクでもないのに変わりはないから。

 

 日本で金を稼ぐことがいやしいとされてきたのには、文化的背景もあるように思う。確実に稼ぐのは、抗うことのできない人間の習性を利用すればたやすいことだからだ。その意味で射幸心を煽られパチンコにのめり込むし、性欲は大昔から変わらず風俗産業につながり、不安を煽られ保険業界のお金は増える。そのような「人間に付け込んだ商売」の儲けが嫌われるのだ。宗教もここに属する。

 

 一方で、画期的な新薬を開発した製薬会社や、新しい技術を生み出した家電メーカー、臨場感あふれる新世代のゲームハード機を生み出した会社が潤っても、私たちは何とも思わない。その陰で、潰された小規模のメーカーなどが例えあったとしてもだ。

 

 争いが嫌いといって憚らない人でさえ、既に経済戦争のシステムにはめ込まれ、逃げられない状態になっているし、そもそもその状況にすら気づいていない。

 

 何にせよ、こんなに生き辛い世の中だ。どこかで人知れずに息をぬける場所があったって、いいように思う。どう頑張ったって、なるようになる。風任せなのだから、やたら構えて回るよりは、ふわふわ夢心地で飛ばされた方が気もちいいものだし。