Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

文具と戯れるときの諸注意について

 画面が割れました。なんたってiphoneです。胸ポケットからすべり落ちる様もエレガントそのもの。「このiphone、アップルケアっていうケースに入ってるから」とフィルムすら貼らずに使ってきた強気の姿勢が幸いして、ハリー・ポッターみたいな亀裂が縦横無尽に走っています。

  そこで家族間通話無料で亀甲縛りレベルで私を縛り上げてくれている某キャリアへ出向いたのですが、修理には本体を郵送して1ヶ月以上かかるとのこと。浦島太郎じゃねーんだぞ!私のiphoneにはSuicaが挿入されていますので、手続き的にそれは困ります。いや、正確には出社できないので望むところなのですが、成人動画的意味でフラグシップモデルと化している機体を見ず知らずのところに長期間放出するわけにもいきますまい。そんな期間、手元に置いてなかったら、修理されて戻ってきたころには出家している恐れすらあります。

 結局、修理はあきらめて使っているのですが、ついでとばかりに料金プランも見直してきました。いや、見直した気がします。はっきり言って携帯ショップは、手ブラでいくようなところではありません。

 

 手ブラと聞いて、手で覆い隠すブラジャー的用法の方が頭からこびりついて離れないほど混乱しました。なぜかってプランがとても複雑です。普通に聞いているだけでは、搾取されておしまいです。なぜスマホの修理を断念して、更にお吸い上げ頂く形になってしまうのか。スマホを機種変したり契約するときは少なくともレポート用紙数枚、ペン類、電卓くらいは最低装備でしょう。

 私の対応をしてくれたスタッフさんは、とてもかわいい方でした。私の下半身は既にAIが何年も前から別回路で稼働している状況なので、自分の頭でプランの概要を追いましたが、それでも完全に分かったとは言えません。もしかしたらあれは夢だったのかもしらん。そんな余韻を残すプラン検討でした。

 禁煙ブームのこの時代に、名称からして既に煙に巻く気マンマンです。「誰でも割り」と言われても博愛精神に富み過ぎて、もはやどこをどう、何の理由で割り引くかも分からない。そんなのは序の口で「W定額」とか、それはもはや定額ではないなどと突っ込んでいたら身が(主に脳みそ的なところが)持ちません。

 スマホで「かけ放題」というと、もう日本語としておおよその意味は一つに絞られるのですが、そうは問屋がおろしません。「カケホ」があると思ったらスーパーカケホがあり、??となってるとスーパーカケホ(a)とか出てきます。超サイヤ人の話しているのかと思いました。そしてこの(a)は、「アップグレードプログラム(a)にご加入いただけるプランです」と、保険における先進医療特約みたいなノリで話に混ざってきます。もはや現役の理系で、ショップに嫌がらをしよう!という断固たる決意をもった人が紙やペン、電卓を持ち、スケジュールを確保のうえ乗り込んで、ようやく自分に最適なプランが見つかるレベルです。

 保険もそうなのですが、プロがありとあらゆるテクニックを駆使して簡単に比較できないように設計されているらしいので、考えるだけムダとも言えます。こういったものを目の前にしたとき、大事な判別式はただ一つだけ。

つまり、「自分にとっていま本当に必要なのか?」。

 

 さんざんプロッターが欲しいという旨を繰り返しブログでアナウンスしているところですが、スマホも同じような状況です。スマホの本体は、機種・機体ではなくそこに格納している自分の情報です。思い出の写真であったり、映像であったり、SNSでの交流であったり。なので、私は機体がキズモノになってもそのまま使い続けていました。本当に必要なのはピカピカの機体ではなく、その中の情報(アダルト動画を含む)でしたし、それが無事である以上、何も不便はなかったのです。

 それをプロッターに置き換えてみましょう。それは私にいま、本当に必要なのか?プロッターでなくとも紙とペンと何かしらのバインダーがあれば同じことはできそうです。必ずしも県外に飛び出して買い求める必要性があるでしょうか?

 

 最近、特に思うのですが、手帳術というと何かしら「披露した相手の度肝を抜くか、肉眼からウロコをひっぺがすくらい抜かないと術とは言えない」みたいな空気があります。少なくともそれがないと、公式ブックなどには掲載してもらえないでしょう。映えないですから。しかし、それは実際の姿とも書籍を購入する人のおおよそ半分のニーズからはかけ離れてしまいます。

 

 私は言いたい。あなたがたはボリショイサーカスを鑑賞して説明されたら同じことできんの?と。

 

 その点、実務教育出版社さんのバレットジャーナル本は基本に忠実なところも拾っていただけたので、これならできそう!と思えた人も多かったのではないでしょうか?

 私が思う手帳術は、基本的な使い方を確実に継続していけること、にその目的があるように思うのです。例えば何かアイデアを生み出すためのツールであるプロッターですが、そのツールがあれば何かアイデアを生み出せるのか?と聞かれればそうではありません。

 アイデアは、膨大なインプットの上に、何かのきっかけで種々が組み合わさって生まれると言われています。プロッターは確かにアイデアを生み出すために組み合わせたり、こねくり回したりするにはいいツールかもしれません。しかし、それだけではだめなのです。膨大なインプットがあってこそ、プロッターが真価を発揮できるのでしょう。

 私たちは何か変化を求めるとき、まずその形を追いがちです。アイデアを生み出したいならばプロッターを追い求めるより、インプットの充実した環境になるように生活を改善し、感性を高めることに努力すべきでしょう。それを吐き出すツールなど、実は些末な問題なのです。

 

 私がいま必要としているのは。ほしいのは。プロッターなのかアイデアを生み出す豊かなストックなのか。考えるまでもないかもしれません。プロッターは他のものでも十分に代用できますが、後者は自分にしか創れないものですから。

 

 私は言いたい。全く機能が同じでも、信金メガバンクの預金口座と通帳では心持ちも違うだろうと。だからま、結局ほしいものは欲しいんですよね。物欲を叩こうと思いましたが無理でした。