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いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

「紙」

雑記

 古代中国の四大発明の一つに「紙」がある。歴史の授業で羅針盤、火薬、紙、印刷…と暗記はしたものの、なぜ紙が偉大な発明なのか。そんなことは頭の片隅にもなかったように思う。ただ、テストで点数を取るために機械的に暗記した僕がいた。

  こどもだったのだ。教科書は覚えなきゃいけないもの、ノートはとらされるもの、生徒手帳は持ってなきゃいけないもの。どれも活用しきれていなかった。教科書に至っては、作者や歴史上の偉大な先人たちの顔写真が、ペンペン草すら残ってないような荒れ果てた顔とヘアスタイルになっていた。

 いま、広い手帳の世界をみていて、改めてその偉大さを知るに至る。たんなる書き取りスペースに過ぎない紙は、言語、幾何学、論理と組み合わさるととてつもない財産になる。紙はいろんなものを何でも分け隔てなく受けいれ、ついには印刷技術によって「知の保存」まで可能になった。

 

 ところで、人は疲れてくるといろんなものごとの判断が鈍ってくるようだ。ここのところ年度末と新年度に向けた業務のおかげで僕も疲れていた。綾鷹と加藤鷹の分別さえ危うくなってきたところで、今の頭の中をスケッチブックに書き殴ってみた。

 

 結局のところ、紙が偉大な発明となったのは、そこまでに活用した偉大な人がいたからだと思う。今では日常の中のメモ、走り書きから聖書の媒体としてまで幅広く普及している。そんないろんな顔を持つ紙は、使う人によって使い込まれれば、どれだけでも尊いツールとなっていくんだろう。

 

 いまシステム手帳について、頭から芳醇な香りが立ち込めているかのような使い込みをしている。けれど、他人から見れば。その手帳を駆使することでどんなメリットが還元されるのか、という点が一番気になるのではないだろうか。

 例えば、ライフログで健康管理して、理想的なプロポーションを維持してます。スケジュール管理でスキマ時間をあぶり出し、その時間を勉強にあてて資格を取得、昇進しました。手帳にストックした情報からアイデアがひらめいて、〇円の利益を生みました。そんな具体的な、可視化されたメリットがない限り、興味のない人にとっては一生無用の長物かもしれない。

 

 手帳は何の価値を生み出すのか。そこに目を向けないで、使うこと自体が目的となってはいないか。

 

 僕が初めて買った、紙フェチの書籍は『東大合格生のノートはかならず美しい』だった。東大生の高校時代のノートが、フルカラーで掲載されており、その解説がつぶさに付された一冊だ。この本に掲載されている人々は、紙を活用することで「東大」という社会的に一流のブランドを手に入れたことになる。

 

          

 

 では僕の場合はどうだろう。システム手帳を一心不乱に使い、その結果がこのブログとなって発露している。そのブログが、色欲の権化みたいな存在になっているのならば、僕自身もまた色欲魔であるということだ。自分が不憫でならない。

 

 できるならばもっとこう、インテリジェンスとジェントルマンさが溢れ出すブログにしたい。そして婦女子に大人気を博したい。そして清楚な乙女とねんごろな仲になりたい。綾鷹と加藤鷹を混同している場合ではないのである。

 そのためには、その下心を成就させるためには、断腸の思いでピンクコミュニケーションスキルを封印しなければならない。腸を断った経験はないけれど、別のものばかりがたってきた人生に手を振ろう。

 

 思えば世の中は非情だ。福山雅治さんは、ダンディズム溢れる声で僕よりも過激な下ネタを発し、それが好意的に受け取られる。一方、僕が実生活で発すれば即事案。しかし現状を嘆いてもしかたがないので、模索すべきは一刻も早く福山雅治さんになることだ。高須クリニックが一番有力だがmそれはもはやなるというよりも、変身とか変形の類だ。そして、それはフランツ・カフカの『変身』のように毒虫のように変わってしまうこともありうる。元が天災のような顔だけに、むしろその可能性は大いに高いと言える。もはや懸念する域だ。

 

 また、メリットはなくとも自分の日記や記録をみるだけでかけがえのない思い出になる、という人々もいる。とはいえ、手帳に興味がない層の人々にとっては、スマホでムービーや写真を撮影し、クラウドにでも放り込んでいた方がよっぽど効率的で、適切だと思う人も多いだろう。

 

 つまり、僕は紙が好きなのだ。自分だけの思考によって、自分だけの筆致で、自分だけにしか生み出せない紙を作る。その工程も、自分色に染めあがった紙も、かけがえのない思い出だ。そしてその紙は、もう二度と生み出せない。その儚さと希少性に価値を感じるのだけど、それは僕の世界の中だけで生きる価値だ。

 

 いつか役に立つかもしれないし、立たないかもしれない。けれど面白かったものは、どんどん紙に落として綴じていく。いまは難しいことを考えず、ポートフォリオのようなものでいいかと思う。

 

 存分に楽しもう。もう生み出すことができない作品を、僕はいくつももっているんだから。それが例え、何の価値を生み出すものでなくても。僕自身にも、もう二度と生み出すことができない作品たちなのだから。