いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

手帳マニアの憂鬱

 たぶん人生っていうのは、自分で考えて判断して、その上で行動してこそ幸せになれるもなんじゃないかって思う。行動の結果は失敗であることもあるかもしれない。けれどそれはいずれ、自分で考える際の糧となって還元されるから気にする必要もない。

  僕は、実はあまり手帳とノートを区別していない。スケジュールを記入して管理するのは手帳、としているだけで、役割りとしてはどちらも同じだからだ。それは、「考えるためのツール」であるということ。

 いま、仕事とは別のライフワークでひとつの事業所のようなものを立ち上げている。それにかかる書類申請、登録、行政との調整などのスケジュールは手帳で管理した。また、場所を決めるための環境調査、広告デザイン、PEST分析やSWOT分析などはノートに書き散らしている。手帳とノート、どちらもひとつの目標達成のために使い分けているに過ぎない。それらの結果がどうあらわれるのか、それは来月のオープンを待ってみなければ分からない。

 

 けれど、最近よく思うのだけれど、SNSやネットで見かける「手帳研究家」みたいな肩書きの人に限って、アウトプットもアウトカムもほとんど見えないことに気付く。手帳研究家は自分のことだけど。

 本来、こういった肩書きはサブであるべきだよねって思う。極端な例かもしれないけど、ベンチャーを立ち上げた社長、一流商社でばりばり働く人、難関な国家試験を突破して仕事をしている人。そういった肩書きの人たちの手帳だからこそ、興味がある。もちろんビジネスに限るわけではない。例えば、一心不乱にペン字を練習していてみるみるうまくなってる人とか、悔しくて眠れないくらい面白いブログを書く人とか、そういう人たちの手帳やノートもまた強く興味がある。

 要するに、何かしらの強い魅力を感じる人。その人の頭の中とか、どんな行動をしているのか、何がその人を形作っているのかに興味があるから、手帳やノートに興味があるわけだ。一時話題になった「東大生のノートはかならず美しい」。これも東大生というブランドがあるからこそ、美しいというそのノートに人々は惹かれたのだろう。

 もっと身近な例で言えば、アフィリエイトインフルエンサー。「月〇万pvを達成した」という数字で見える実績、そこからつながる収入が魅力となって、記事やセミナーの人気につながっていく。これはある意味、当然の流れだとも思う。

 

 例えば僕がインフルエンサーになりたくて、自分の手帳術を広めたいと思っていたとする。このとき、一番説得力があるのは「システム手帳研究家」という肩書きよりも、実際の肩書きの方だ。外科医、パイロット、小説家。もしそんな肩書きだったなら、ほっといてもさっさと広がっていくことだろう。もちろん、ビジネスでなくとも。莫大なヒットを稼ぐブロガー、Youtuberなどでもそうだ。ただ、そういう人たちは何かの形で社会に少なくない影響を与えているという点で共通しているように思う。

 

 ところがどうだろう。実績という名の根拠も示すことなく、ひたすらに評論家や研究家やコーチなどが湧いてくるのがこの手帳界隈。とはいえ、ネットの世界なので実名や事業の詳細など明かすことが難しい場合もある。だから一番、気を付けなければならないのは、本に掲載される、出版することなどを目的に活動している人たちだ。そういう人たちに限って、ビッグなお世話と言わざるを得ない肩書きだったりする。そしてアウトカムはというと、著作物だったりするわけだ。これは一歩引いてみれば、健康マニアがゴリ推しする水素水のようなもの。何の根拠もないけど、自分のブランド構築のためにせっせと推しているのである。

 

 だから「手帳研究家」とか、そういう肩書きに頼っている時点で「手帳は大好きだけど活用して効果を出すことはできなかったよ」と宣伝しているようなもので、この点こそが「思考ツール」としての危ないところだったりもする。手帳やノート、つまり思考の結果っていうのは色んな形があるということだ。小説かもしれない音楽かもしれないし、画期的な発明のアイデアだったり、すごい戦略、面白い記事など定型がない。

 そんな界隈だからこそ、肩書きを据えて、名前で殴り合うような様相を呈してきているんじゃないだろうか。最近ではそこに宗教色も絡んできて、もはや何が何だかわからない。悟りを開くためのツールなのかもしらん。

 

 唖然としたことがある。某日、某場所で手帳術について聞かれた。僕は「要約できる」ということも、立派な手帳術のひとつだと思っている。情報整理し、要点をまとめて手帳に写す。そのために必須のスキルだとも言える。けれどもまぁ、「手帳術」という名前ほどのインパクトがないということで、わせdrftgyふじこlp;@。

 また、日本語で手帳を使っているのだろうから、それこそ努めて正確で分かりやすい文章を使っているのかと思いきや、支離滅裂だったりすることも日常茶飯事であったり。手帳術の前に作文からやり直せという、至極真っ当な結論にしか辿り着けなかった。

 

 結局、「手帳マニア」で終わりたくないのなら、それを活用して仕事であれ趣味であれ、魅力を感じさせる人間になるしかない。それがないうちは、どんな肩書きを名乗ろうが「手帳マニアの別名でしかない」ということを覚えておきたい。あぁ、耳が痛すぎてセルフ芳一になりそうだ。