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いろは。

手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

手帳とノートの一般理論

 僕が「異性からの徹底孤立」という何の役に立つのかわからない才能の片鱗を示し始めた中学時代。まだ携帯電話にインターネット機能はついていませんでした。当時は携帯やPHSを持っている中学生はほとんどおらず、意外なことに僕は持っている側でした。

  けれど異性とキャッキャウフフなショートメールをやりとりするわけでもなかったのが悔やまれます。当時、空手の修行によって荒れた中学校で、スーパーサイヤ人孫悟空のなりそこないみたいな人々が群雄割拠しておりまして。

 我が身を守るために空手を修行していたはずなのですが、ヤンキーな人々を退けるうちに、なんか他校との抗争に駆り出されるという肉弾戦ハリー・ポッターな様相を呈していたのです。

 「さるさくん、あそぼ」とかそんな色気のあるメールがくるわけでもなく、「〇〇中がGEOに来た。すぐ来てくれ」みたいな、危機を知らせる電報的なメッセージしか来た覚えがありません。携帯が気の毒でしょうがありませんでした。

 

 そしてわけのわからないカスタムを施し、「あほの極み荒くれ」みたいな、ゲスの極みとの対極に位置していました。もう、着信とかメール受信のときにアンテナとか光ってましたからね。そして、今の高価なスマホでは考えられないけど、半年から1年くらいのスパンでばんばん機種変していました。あれが携帯ではなく異性だったなら、あまりの乗り換えぶりに「レオン」とかに掲載されてたと思うんですが、しょせんは液晶ディスプレイの背景を緑一色かオレンジ一色くらいに変えるしかできない、シンプル過ぎる時代でしたからね。

 

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  ▲初めて機種変更したP208(DoCoMo

 

 その中学時代から10数年が過ぎ、大人になったかに思われましたが相変わらずの31歳児。「ウォーリーを探せ」で、彼の囚人服とTENGAの模様の見分けがつかず悩む日々を送っています。

 

 携帯は大きく進化し、本体も10万弱の価格で圧倒的に高価になりました。僕の機種変癖もかなり落ち着いたのですが、それは成長というよりも一つの気付きによるものだったのです。

 

 

 それは、

スマホは情報のゲートに過ぎず、その機種自体はさほど問題ではない

 ということ。大事なのはスマホにどのようなアプリをインストールして、どのような情報をヌケ・モレなく納め、迅速に検索して情報を使いこなせるのかということ。すなわち、iPhoneAndroidの各機種それぞれに価値があるのではなく、その中に収納している自分独自の情報にこそ価値があるのです。

 

 収納した情報を適切に管理し、スムーズに活用できるか。その意味ではメモリや容量も多少は重要ですが、それ以上にいかに使いこなすかのほうが大事なことは言うまでもありません。

 

 そう考えてみると、「手帳」と「ノート」も同じです。どちらも「自由に書くことができる紙」以上のものでも以下のものでもありません。

 多少、テンプレートみたいなものがあるかないかの違いですが、本質は「その紙を使って情報をどう整理するのか」ということに尽きます。手帳のノート化、ノートの手帳化も双方向に並びますが、両者の違いは紙の使い方の相違でしかないのです。

 

 予定・スケジュールという情報の管理にするのか、自分の頭から垂れ流れていく思考を書きとめるのか、どちらも紙である以上、どこに書こうが問題ありません。その意味では、〇〇手帳最高、〇〇手帳がおすすめ、といったいわゆる手帳のブランドないしブランド化はあまり意味がないように思うのです。

 

使うべき手帳の種類は、用途・活用方法が自然に決定してくれる。 

 

 その決定へ導かれるために、思考錯誤でいろんな手帳を手にとったりしていることは言うまでもありません。

 逆を言えば、用途によってはむしろ手帳よりもノートを活用した方がいい場合もあります。現に小説作家さんたちや漫画家さんたちの中には、スケジュール、進行、アイデアなどをまとめるために手帳ではなくノートを使ってらっしゃる先生もいるようです。

 

 どの手帳がいいかわからない人は、まず自分が「手帳で何をしたいのかを考えなければなりません。 絵日記を書きたいのか、ダイエットを達成したいのか、仕事ができるようになりたいのか。自分の目的が明確になれば、必要になる手帳の輪郭が見えてくるようになります。

 

 けれど、現実はそうもいかないことを承知しています。自分の目的さえ達成できればそれでいい、というわけではありませんから。けれど、やはり最優先すべきは「何のために使うのか」。それに沿って使いやすい手帳をいくつか選び、それから色やデザインなど個人の価値観を優先させていくべきでしょう。

 

 この本質を見誤ってしまうと、適切な情報を収納できない、価値のない手帳に成り下がってしまいます。

 極端な例を言えば、仕事のメモを走り書きした「ほぼ日手帳」と、売れっ子小説家の書きためた「ストーリーのアイデアをストックした100円ノート」では、それ自体はほぼ日手帳の方が断然高いのに、潜在的な価値は100円ノートの方が高くなります。適材適所という言葉の偉大さがわかりますね。

 

 その意味では、もっと手帳の使い方について深く考える機会があってもいいと思います。使い方・運用によってはどんなに価値ある情報を収納していも、ゴミ同然になることもあれば、更に価値のあるものになることもあります。また、ゴミ同然の情報が、あるとき有効なアイデアにつながったりもします。

 

 もっとこう、絵日記の発表会だけではなく、手帳の本質に迫る情報の共有をしたいし、そのような場もほしい。僕も真に迫るような変態テキストばかりを打ってはいられません。

 

 テレビを見ていてふと目にしたんですが、セクシーゾーンだかデリケートゾーンだかのジャニーズグループが出ていたんですが、彼らかっこいいですもん。顔とかじゃ太刀打ちできない部類の同性。なので、僕は僕なりのフィールドで活躍するしかないし、だから最後はシステム手帳なら手帳もノートもこれ一冊でなんとでもなるから最強というステルスマーケティングを残して本稿を終えようと思います。

 

 紙は、その活用によってノートにも手帳にもなる。重要なのは形ではなく、その使い方。使い方が適切ならば、価値ある情報は集積されていく。もっと手帳やノートについて広げたいところですが、まずは序章としてここまでに。