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『共謀罪』に対するフォース

 そのニュースは突然やってきた。周辺各国からの再三の警告にも関わらず、北のマジカルワンダーランドから、謎の飛翔体が天高く飛び出していったのだ。

  ニュースでは「けしからん」とか「脅威が増した」とか、そんな論調だった。北朝鮮が実際どんな腹づもりなのか、単なる一般人である私にはわからない。わからないのが普通のはずなのに、Facebookでは、友人が烈火の如く怒り、怒髪天を衝きまくって別のところも怒張してそうな様相だった。

 怒りの主張と怒涛の記事シェアによって、彼のタイムラインはプチ政権と化していた。もう閣僚とかに推薦しようかっていうくらい、我が国のために彼は激おこスティックファイナリリアリティぷんぷんドリームだったのである。

 

 しかし、北朝鮮の脅威は無視できない。お隣の韓国や日本にも、多数の工作員が潜伏しているとされている。いざ有事になれば全国津々浦々の工作員たちが、大塩平八郎みたいなノリで蜂起するに違いない。そして周囲の人々に、VX的な液体を顔面に塗りたくって回るだろう。

 いつも行きつけの店舗型だって、普段はローションで塗りたくられてても、いざという時は化学兵器になっている工作員嬢かもしれない。そう考えると、恐ろしくて町も出歩けないではないか。

 

 揺れる国際情勢の中、我が国は次期オリンピックを開催しなければならない。多くの外国人たちを迎え入れる準備に、政治家たちは追われている。開催施設の設計デザインコンペにはじまり、たばこの副流煙の問題、ボランティアや通訳の確保などさまざまな問題がある。

 その中で、テロ対策というのも重要な課題だ。オリンピックの開催セレモニーのシンボルでもある聖火リレー。いろんな政治的絡みから、この火を消したり奪おうとする人々が出てくる。まるでマリオのごとく、火を掲げながら聖火台まで運ぶわけだが、国境なき妨害団によってさまざまな迫害を受ける場合がある。何かを主張したいなら、わざわざよその国まで来て火を追っかけるよりも、もっと有意義な方法があるように思われる。

 テロといっても、いろんな方法がある。生物兵器や爆弾でみずからもろとも、という覚悟のものから、どこまで本気なのか、もはや主旨も分からぬ聖火泥棒までバリエーションが豊だ。

 そんなテロから安全を守るため、国会で決議しようとしているのが「テロ等準備罪法案」(共謀罪法案)だ。これは、テロを実行してなくても、画策して実際に準備したらその時点でひっとらえて、きついお灸を据えるという法律のようだ。

 そして、これが成立すれば、国家ないし警察による情報監視社会になるという懸念が叫ばれている。テロの準備をまさに取り掛かろうとしている者たちを捕まえるので、当然、常日頃から監視しておかねば難しい。となると、一般人かテロ組織の一員なのかとかそういった区別なく、全体を監視し、あやしいところをビシバシと叩いてほこりを出すのだと思う。

 

 テロが起きて、一斉に少女だけが誘拐されたなら、日頃からロリコンピーポーのリストをアップして操作するだろう。今回は、その誘拐を未然に防ぐ主旨であるから、日頃からロリコンワールドを監視して、「あ、こいつもうだめだ…」というのを、塀の中へ連れて行く。やはり、情報監視社会の到来は避けられないように感じてしまう。いつか起きるかもしれない熟女集団失踪事件に備えて、私は監視カメラや会員レンタル履歴を欺きながらAVソムリエとしての矜持を果たさねばならない。それは大変に難しい。

 

 どうせそのような法案が決まったところで、私のような人間の情報を漁っても、出てくるのは熟女ものの購入・閲覧履歴ばかりだ。いくら閲覧したところで、平和を守るための情報など出てきやしない。

 しかしながら、何もないとはいえ、常に監視されているのは決して気持ちのいいものではない。なんとか回避できないものだろうか。その答えが、アナログなのである。

 

 メールやLINEでは、何らかの痕跡をネットやPC・端末に残してしまう。その点、紙ならば、いざ燃やしてしまえば何も証拠は残らない。また、通信を傍受されたり、はずかしいLINEのトーク履歴をスクリーンショットによって魚拓られることもない。実は、異様に高度に発達した情報化社会では、アナログの方がリスクが少ない場合もあることを覚えておきたい。

 浮気の証拠は、メールなどの無駄に高い保存性・再現性があるものを使用するから、ばれやすいのではないだろうか。紙に伝言のメモだけ書いて、あとはコンビニのごみ箱にでも放りなげる。それだけで隠滅コンプリートである。

 

 少し以前までは、アナログしかなく比較対象が存在しないために、アナログそれ自身の魅力・メリットが見落とされがちだった。デジタルがめざましく進歩した今では、アナログとの比較によってメリット・デメリットが少しずつ明らかになっており、アナログへの回帰がすこしずつ始まっている。デジタルとの使い分けこそが重要だと気付いた人たちが一定数でてきたのだ。

 

 この法案の成立によって、より一層アナログは見直されることとなり、中でも手帳・ノートの使い方は一定需要が出てくるだろうと思う。中でも汎用性や情報活用の効率性が高いシステム手帳が人気を博すことになってほしい。今こそ、国家権力にアナログの力で対抗するべきときなのかもしれない。そんな疲れることは、したくもないけれど。