Personal Organizer Lab.

システム手帳・文具中心の雑記系ウェブログ。

神社系手帳

 何が正しいか正しくないか 何が正義か悪かなんて誰にもわかりません
 もし神がいて神の教示があったとしても
 私は一考し それが正しいか正しくないかは自分で決めます

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 日本の名探偵と言えば、最近で言えば江戸川コナン金田一一(はじめ)と、かつての名探偵などに立脚したキャラクターでした。その意味で、一つの作品の中だけで名探偵像を確立した「DEATH NOTE」のL(エル)は、あらたなキャラクターの可能性を示しました。


 冒頭のセリフは、Lの意思を継ぐN(ニア)が、正義を主張するキラ(夜神月)に対して発したセリフです。僕はこのセリフが本当に大好きです。こうあるべきだよなっていうのをいつも思い出させてくれるから。


 思えば手帳というものについて、ブログなりTwitterなりでいろいろ発信してきました。結論としては、その手帳がアート寄りであれ、ビジネス寄りであれ、最終的には「自分が自分らしくあるためのツール」なのだと思っています。
 自分を表現することも、自分を律して可能性を引き出すことも、最終的にはここに行き着くことでしょう。


 だからこそ「手帳の使い方に正解なんてない」と言い続けてきました。そんな当たり前のことをのたまうほど、さまざまな肩書きで、上から教えてくれる教祖さまたちのなんと多いことか。

 

 物ごとを絶対的な視点でしかとらえられないのは、教養のなさゆえの悲劇です。本を読み、人と交わり、いろんな経験をする。そんな生き方によって、世界は少しずつ広げられていきます。

 なにかの驚く体験をしたとき。それが例え神秘的な体験であったとしても、それを絶対視することしかできないか、相対化できるのかは、自分が積み上げてきた人生経験が決定します。
 その人生経験の中には、手帳だって含まれるはずです。表現したり、愚痴を書いたり。自分と向き合ってきた記録であり、生きてきた記録でもあるのですから。


 そのような意味で、システム手帳を使っててよかったなと思います。なんといっても自由ですから!!


 自分自身を飼いならすことができるのは自分だけ。手帳は、自分の能力や可能性を引き出す手伝いを、ほんの少ししてくれます。だから自分の手帳や、他の人の面白そうな使いかたに目を向けていればそれでいいんだと思います。


 システム手帳の自由さに惹かれて、自分自身のために使っているだけに過ぎません。決してfilofaxやグレース・スカールのために使っているわけではないのです。だから僕は、filofaxやグレースを尊敬し、感謝はするけれど、崇拝することはない。

 システム手帳の自由さに惹かれて、自分のために使っているだけ。あくまで自分が自分らしくあるためのツールで、そこに付随してくる手帳の製作者や群がってる空虚な肩書なんかは、知識の断片以上でも以下でもない。何ら自分の人生に影響も関係もありません。


 時間は絶対的に平等で、誰しもが枯渇している。だから魅力的もので溢れた世界に目を向けたい。それを自分だけの手帳に記し、自分の世界を広げるそのことに時間を使っていきたい。

 そう思うことでさえも、自分の中だけでの正解に過ぎないのだけれども。