いろは。

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免許失効してみた【急】

少人数しかいない教室。鳴り響くブレーキ音。襲う睡魔。

免許の初回更新者講習は、クライマックスを迎えようとしていた。

  パワーポイントの恐るべきスキルの高さについては、先日の【破】で詳しく説明した。今回は映像教材について紹介したい。

 私がまだ高校生だったころ。自動車学校の学科教習は、20分講義+30分映像というフレームが出来がっていた。その中の映像30分が苦痛だった。淡々としたナレーション、ごくごく当たり前の操作などを延々解説し、感情の起伏も特にない。さらに、それを暗めの照明に設定してみるものだから、DVDが始まるやいなや睡魔をかき分けながら船出出港する人々が多数だった。私も例に漏れず、グランドラインな勢いで船を漕ぎまくっていたように思う。

 当時、まだスマホも無い時代。iモードというドコモのインターネットサービスが全盛期で、それでいてTwittermixiすらなかったころ。暇をつぶせるものなんてそう多くは無かったし、色んな情報をどこでも引っ張り出せるようなユビキタス社会ではなかった。けれどいまではどうだろう。ソシャゲ・Twitter with 思考停止を主な用途とする中高生がスマホを持つに留まらない。小学生がYoutubeを通して、全世界に個人情報と親の腹黒さを丹念に配信して報酬を得る時代が到来している。

 だから。映像教材も進化を遂げているのは必然の流れだった。

 

 初回更新者講習や免許更新に関する講習では、既に免許を取得して野に放たれている人々が対象になる。その層に植え付けなければならないのは、事故の恐ろしさである。

 このところ、犯罪防止目的でドライブレコーダーが普及してきているのは周知の通り。事故や犯罪の証拠になったり、思わぬアクシデントやハプニングを収めてしまったりの大活躍。このドラレコの功績で、交通事故教育の映像教材が一皮むけた。

 

 「インスタ映え」という言葉は一世風靡し、それを批判するインスタ蠅なる言葉まで生まれた。けれど、映像においては重要な要素であるらしい。

 「だろう運転」というものがある。「〇〇〇だろう」という、自分の願望や妄想を手に込めてハンドルを握るというテクニックで、得てしてそれは裏切られることが決して少なくない。そんな事故のドラレコ素材がふんだんに盛り込まれた映像教材だった。

 

 中でも運転映像の視界が、自分の運転時の視界ダブるような運転感性の似た映像があった。だから止まってる車の列の陰から、モザイク越しにおばさんがひょっこりはんしてしまって見事にはねられて飛ぶ映像は、心の中でも「あっ」と思うエグイタイミングだった。それがあまりにも見事で、いわゆる「映え」を持っていた。するとどうなるかというと、同じ教材の中で何度も使用されることになり、何回もひょっりはんしては宙を舞うわけだ。そりゃ顔にモザイクも必要だなと思った次第だ。

 

 そして講習のラストを飾る映像「償いの十字架」。免許の更新と言えば半分公的な用事であって、平日しかやっていないイメージがあるから大手をふりまわして仕事早退とかできるんですね。だから優雅にドトールでサンドイッチとオレンジジュースでランチとったり、とても早く帰れるのだから普段閉まっているお店によって行こう!ゲーセンでプライズをゲットするのもいいな、可愛い子との出会いとかあるかもしらん!と、若干「めっちゃホリデイ」入ってるんですよね。

 それが先制パンチでこんな重い映像を見せられたときに衝撃は計り知れませんよ。と思ったけれど、とんでもなかった。あらすじとしては、自分の子どもが不注意運転の車にはねられ軽傷を負う。パパは怒りのアフガンなランボーと化して相手を殴打しようとする。数日後、自分は人をはね、死亡させてしまう。刑務所で罪と向き合うも、家業である和菓子屋は経営難に、一家も離散へ。

 このドラマに僕は一気に惹き込まれた。もちろん、自分もいつかそうなる可能性だってある、という要素もあるだろう。しかし随所に、ストーリーを加速させるテクニックが使われていた。中でも興味深いのが人物設定だ。

 実家は父の代から続く和菓子屋さん。はねた人の息子は3代目になる予定であり、父親とは同居していた。ちなみに、主人公の奥さんは裕子(ゆうこ)さんである。主人公が取り調べで拘束され、被害者が死亡したことにより裁判へと発展していくことが確定的になったとき。初代である義父は、賠償金や慰謝料などいろいろこれからあるから、息子を連れて実家に帰っていては?と提案する。人によるのかもしれなけれど、義理の娘に対しては「〇〇さん」と呼ぶのが普通だと思っていた。しかし、和菓子屋を興しただけあって頑固なのかもしれない。ゆうこ呼ばわりしていた。もうね、実は夫に内緒でデキてたという暗示に見えてしかたがない。ヘンリー塚本監督なら間違いなく抱き合ってるところ。このゆうこ呼ばわりは最後まで私の頭にこびりつくことになる。

 散々悲惨な状況を見せ、自分だけでなく家族も巻き込むという重大さを知らしめ、最後の最後。「事故はいつでも、被害者にも加害者にもなる」と、観た者に対して警鐘を含んだ嫌な余韻をひくセリフも見逃せない。

 けれど、この物語のラストに比べれば、そんなことは些末すぎてどうでもいい。誰もが予想していなかったラスト。大どんでん返しとか、実は生きていた、夢だったなんて落ちでもない。なんと。講習の終了時間が来たからということで、リモコンの停止ボタンで映像は終了した。最後にみたのは、出所したパパが事故現場で花束をあげて号泣するシーンである。ラストが気になり過ぎる。次回は最後まで完走できることを期待して更新へ向かいたい。

 他にも環状交差点の使い方説明では、「お年寄りの横断者たちを一時停止でやり過ごして…」といった、まるでFPSにおける障害物か遮蔽物かのような扱いをする愉快な一幕もあったのだけど、それはひとまず置いておこうと思う。

 

 2時間の講習。そう聞くとつらいかもしれない。けれど、ちょっと目を凝らすと。見えるものも、その感じ方も。つまりは、そこにある世界が変っていく。あとはその世界を、どう自分の言葉で切り取るか。それだけで、これまで退屈でしかなかったものが急に魅力的になったりする。このわくわくにまた出会いたいから。3年後もちょっとだけ失効して、仕事を早退して更新に向おうと思っている。